Wednesday, March 30, 2005

Terri Schiavo

こっちではCNNを見ると毎日毎日朝から晩までTerri Schiavo caseのことばかりである。

ニュースを見ていて気がついたこと。


  • こっちのニュースはあんまり事柄の背景を説明してくれない。たとえばSchiavoさんの夫(共和党のDeLayさんから'strange husband'と何回も呼ばれていた)がもうほかにパートナーがいて2人も子供がいるというような重要な情報を今日まで知らなかった。

  • 日本の新聞だとこれは尊厳死の問題として扱われているが、今回のCNNの報道ではdeath with dignityといった言葉が出てくることはとてもまれである。保守派の論調でも、彼女の意志がどうだったかというよりもinnocent womanを死なせてはいけないということが強調されているし、報道の論点も往々にして「夫か家族のどちらが決定権を持っているか」になっている。

  • あと、Schiavoの発音は「シャイヴォ」なのか「シアヴォ」なのか。大多数は「シャイヴォ」だがたまに「シアヴォ」と呼ぶ人がいて気になる。

[追記(Apr.1)]

  • といったことを書いていたら、Schiavoさんは亡くなってしまった。
  • 彼女が亡くなったあとでCNNをみていたら、Schiavoさん問題で生命倫理学者が電話で呼ばれていたが、1,2分しゃべらされたあとで「すいません中継です」と話を止められ、それっきりだった(それも後から考えるとかなりどうでもいい中継)。orz.

[さらに (Apr.4)]

  • 哲学者とメディアとの関係についてはここにちょっと議論がある。
  • ただしこの点では日本とこちらでは状況が違うかもしれない。日本だとどっかで加藤尚武さんが呼ばれるだろうからな。
  • この点でよくわからないのは教育問題。学校のことが問題になったときになぜメディアに教育学者が呼ばれないのか(「教育評論家」は結構呼ばれるが、この手の人は玉石混淆だし)というのは結構気になっている。
  • さらに自治体の教育委員会とか政府の審議会にあんまり教育に関係なさそうな人(柔道の金メダリストとか将棋の棋士とか)がくわわって、おそらくは専門家である教育学者が大して加わっていないというのはよくわからない。

Thursday, March 24, 2005

サール

今日はJ.SearleのProper Namesを読む。サールは先月にtalkをきいた(civilizationの存在論について。内容はこの本の概略)。外見は渡辺淳一に似ている。

  • proper nameはshorthand descriptionなのかそのままでreferringするのかという問題について、サールはproper nameはdescriptionを引っかけるpegである、という。
  • つまり'Aristotle'というproper nameはそれについて様々なdescriptionsがある(たとえば"a teacher of Alexender") ことを論理的に含意するという。
  • しかしどういうdescriptionsがあるかということについてはopenである。それによってproper nameがshorthand descriptionsであることから出てくるcounterintuitiveな帰結(たとえば"Aristotle is a teacher of Alexander"が分析的になる)を回避できる。
  • よくわからなかったのはどのようにして様々なdescriptionがproper name にひっつくのかというメカニズム。たとえばostensive definitionでproper nameを定義・命名する場合、そのproper nameにはdescriptionがないのだろうか。
  • あとreferringとは結局どういうことなのだろうか。結局aboutnessの別名ということだろうか。

Friday, March 18, 2005

attributive use and referential use

ショートペーパーを書いていてうまい思考実験が思いついたので幸せだったが、よく見直すと基本的なところを書き落としていたことに気付いて鬱。

きのうはDonnellan。definite descriptionには(1)Attributive use(2)Referential useの二つがあるという。

たとえば"The Smith's murderer is insane."(S)という同じ文でも、刑事がSmith氏の凄惨な殺人現場を見て"The Smith's murderer is insane."といった場合と、犯人が捕まり裁判で、被告がヘンな言動をするのを見て傍聴人のひとりが"The Smith's murderer is insane."といった場合では異なる。

最初の場合は(S)は"Whoever killed Smith, he/she is insane"と書き換えられ、記述句は特定の対象をさしているわけではないが、後者の場合はThe Smith's murdererは読者の注意を引くためにつかわれているに過ぎず、particularなreferred object(たとえば被告人席に座る被告)が存在する。Donnellanは前者はattributive useで後者がreferential useだという。

Monday, March 14, 2005

コイントスはほんとうに公平なのか

Short paperのために結構時間をかけたのだが、結局いいものできなかったので次回にパス。何をやっているのやら。

以下は授業で知った記事。

The 確率の例ともいうべきコイントスだが、ほんとうに公平なのか。

http://www.npr.org/templates/story/story.php?storyId=1697475

正確に同じやり方でコインを投げる機械をつくってコイントスをすると、表裏は全然ランダムではないらしい。
Flipping a coin may not be the fairest way to settle disputes. About a decade ago, statistician Persi Diaconis started to wonder if the outcome of a coin flip really is just a matter of chance. He had Harvard University engineers build him a mechanical coin flipper. Diaconis, now at Stanford University, found that if a coin is launched exactly the same way, it lands exactly the same way.

しかも人の手によるコイントスも、うまく上下に回転しなかったり、横に回転したり(ピザ屋でピザを回しているのを思い浮かべてくださいといっていた)で、ほんとうはランダムではないという。

将棋だと先手(先にさす方)を決めるのに振り駒(歩のコマを5枚ふって「歩」が多いか「と」が多いかで決める)をするが、ここ(32)によると、歩の方が若干出やすいらしい。

ではさいころでは...? と、こういうものがあるらしい。「大人のさいころ」って...「世界最速のさいころ」って...。

Sunday, March 13, 2005

政治的な配慮からトルコで分類名を変更の動き

ちょっとよくわからないニュース。

http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2005/310/3?etoc

トルコの大臣がクルド系・アルメニア系住民に配慮して、いくつかの動物の種名や亜種名を変更するという。この変更は種小名や亜種名についていたKurdとかArmenia(のラテン語形)を削除する方向で行われる。たとえば、

Vulpes vulpes kurdistanica, a Turkish subspecies of the red fox, will be referred to simply as Vulpes vulpes.
という感じ。

この記事でよくわからないのは、どうして"Kurd" とか"Armenia"(のラテン語形)を削除する方向で変更が行われるのかということ(それ以前に、大臣が言ったから分類名が変わるのかということもあるが、それはもうこの記事でつっこまれているので)。トルコ政府とクルド系・アルメニア系住民の関係が微妙なのはわかるが、もし(separatistsをなだめて)民族融和を目指すなら、「クルド」「アルメニア」を名前に入れる方向になるのではないか。とくにオスマン帝国時の民族浄化(の疑惑)について考えるなら、下手にトルコの一体性を強調するのは政府にとって得策ではない気がする。

Saturday, March 12, 2005

失明の原因遺伝子の一つを発見

logicの授業のtutoringをして20bucks稼いだ。というかネットに逃避するな>自分。

高齢者の失明の主な原因の一つである黄斑変性症(macular degeneration)の原因遺伝子(の一つ)が発見されたというニュース。

http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2005/311/3?etoc

Wednesday, March 09, 2005

grad colloquium

せきー。しかしtaxを早く処理したい。

Grad Colloquium. Kuhn, Freidman, Richardson(うちの教授). Kuhnのrelativismを修正するためのFriedmanの3段階モデル。哲学が科学に必須らしい。Richardsonはそれに対してeveryday rational practiceだけでパラダイム転換の合理性を救えるという。

しかしこうした科学の合理性を回復しようという議論は、若い新参者の方が新しいパラダイムを思いついて支持する傾向があるといった一見科学の合理性とは関係がなさそうにも見える事柄も説明できた方がよいと思うのだが、発表者によるとFriedmanやRichardsonはそういう点に関心はないらしい。

Strawson: On Referring

ダライ・ラマの兄弟と話をしたりする今日この頃。

さて今日はStrawson(On Referring). つーか前半はRussellだったが。
  • reference と assertionのちがいがよくわからない。p.236(in "The Philosophy of Language")では(1) using an expression to make a unique referenceと(2) asserting that there is one and only one individual which has certain characteristicsを区別することが大切としているが、存在言明と切り離して(そしてFregeのsenseみたいなのを導入せずに)referすることが可能なのかな。可能世界についての存在言明だとすると'round square'みたいのが困るし。

ペーパーの課題が出たのでそれもやらんと。

Tuesday, March 08, 2005

しかしどうやっても

髪型の件はどうにもならないので、髪が伸びるのを待つことにした。

などといっている今日、ふと斎藤由貴が相米慎二監督について語っていたことを思い出した。

女優を砂場だとしたら、映画監督はスコップでそれを掘り出していく人みたいなものだと思うんです。それでほかの監督さんは砂を掘り出していっても途中で止まってしまうことがあるんですけど、(相米)監督は砂場の底まで砂を掘って底にスコップが当たっても「もうおまえは何も出せないのか、コノヤロー」ってがんがん突いてくる感じなんです。
記憶に頼っているので細部が怪しいが、まあこんな感じだったと思う(全然違ったら、脳内斎藤由貴が騙っていたということで)。で、これはテキストを読むときにも当てはまるのではないかというのが今日の話。つまり私なんかは「これって要するにこういうことね」と思うとすぐにテキストを読むのをやめてしまうが、テキストから読み込めるものが枯れてしまうほどにもっとどんどんつっこんでいかないと。

Monday, March 07, 2005

disjunctive causal factors

ううセキが止まらず、苦しい。

今日はdisjucntive causal factorsの問題(Eells, Humphreys, and Hitchcock)。
probabilistic causalityのbasic ideaは原因(X)が結果(Y)の確率を上げるということ。つまり

X causes Y iff P(Y/X)>P(X) or P(Y/X)>P(Y/~X)(この二つは同じことだが)。

ここでP(E/~C)をどう計算するかというのが問題になる。Cがbinaryな事象なら(e.g., スイッチを入れるか入れないか)話は比較的単純なのだが、そうでないことがあり、それが今日の問題。

たとえば、

E=ある病気pが治癒する、
A=新薬qを100mgを投与、
B=新薬qを10mgを投与、
C=偽薬を投与、

として、P(E/A)=0.9, P(E/B)=0.4, P(E/C)=0.2だとする。そこでP(A)=P(B)=P(C)=1/3だとすると(たとえば新薬の治験で各100人づつにA,B,Cを投与したとする)、

P(E/~B)=P(E&(AorC))/P(AorC)=[P(E/A)P(A)+P(E/C)P(C)]/[P(A)+P(C)]=.55

したがって

P(E/~B)>P(E/B)。

ってBはEの原因じゃないのかよ!ということになる。

これに対してHumphreysはneutral stateという概念を持ちだす。つまりBというvariableに対応するpropertyがない状態(B')を考えて、P(E/B)とP(E/B')を比べたらよいという。この場合だと、B'というのは薬効がない状態だから、結局B'=CということでP(E/B)>P(E/C)。したがってBはEの原因ということになる。

しかしこれはたとえば血圧の健康に対する影響を調べるときに血圧のneutral stateってなに? となったときに困る。血圧ゼロがneutral stateということになると、ほとんどどんな血圧でも健康によいということになるが、高血圧が健康によくないということはよく知られているところである。

Eellsは各被験者あるいは被験者の傾向性を調べろという。つまりBに分類される人がいて、「もしBでなかったらどこに分類されたか」ということを考えろと(この書き方だとcounterfactualsを前提としているように見えるが、Eellsはこれをpropensityと考える)。たとえば被験者が当該新薬の供給が乏しい国にいたとすると、BでなかったときにAだったということは考えにくい。むしろ偽薬を投与されていただろう。もしこれが正しいとするとこの状況で問題になるのはP(E/B)とP(E/C)の比較だけで、これだとBはEの原因だということになる。

しかしこれは人工的な文脈設定によってBがEの原因かどうかが決まってしまう可能性があるということである。

Hitchcockはcausationていうのは本質的に3項関係なんだという。つまり、たんに「XはYの原因」というのではなくて、「XはX'とくらべてYの原因」というのが正しいと。 上の例だと、BはCとくらべたらEの原因だが、Aと比べたらEの原因ではない、ということになる。

Hitchcockはこの考え方はcounterfactual theory of causation(CFC)にも応用できるという。CFCの基本的なアイデアは、

C causes E iff ~E in the closest possible world in which ~C occurs.

たとえば「A氏の喫煙(S)が彼の肺ガン(L)の原因だ」(SL)を取り上げると、A氏が喫煙しない最近接可能世界(これをどうやって決めるかは今は考えないことにする)で彼が肺ガンにならなければCFCだとSLが正しいことになる。

しかし、「A氏が日にタバコ2箱喫煙したこと(S2)が彼の肺ガン(L)の原因である」という言明の場合、A氏が日にタバコ2箱喫煙しない最近接可能世界が、実はA氏は日にタバコ4箱喫煙する(S4)世界だったとすると、彼はなおも肺ガンになるだろう。

しかし、「S4にくらべてS2がLの原因か」という問いなら、私たちの直感はNoというだろう。また(SL)というのは、多くの場合は「A氏が喫煙しなかったときに比べてSがLの原因である」ということを意味しているだろうから、この場合~Sの成り立つ最近接可能世界で~Lならば、SLは正しいことになり、直感と一致する。

ということで、この授業ではHitchcockの論文をいくつか読んだが、いつもおもしろい。

Sunday, March 06, 2005

ホモ属の顔の特徴はselectionにより形作られたのではないかもしれない

今日も髪型のことを余り考えないようにして暮らすわけだが。

http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2004/1213/3

肝のところは、
Their analyses suggest that natural selection probably crafted australopith features such as big bones and a crested skull that may have anchored strong cheek muscles for chewing. But the scattershot pattern of variation among facial features within the genus Homo suggests that genetic drift played more of a role than natural selection, they report online this week in the Proceedings of the National Academy of Sciences.

で、獲物を切り刻んだり料理したりすることがアウストラロピテクスにかかっていた洗濯圧(atokのバカ)を弱めたという。
Technological advances such as chopping and cooking may have lessened selection pressure on the face, says Cheverud. That makes sense to anthropological geneticist Charles Rosemann of Stanford University. At one time, he says, facial features such as the condition of the teeth would have played a large role in determining an individual's overall vigor. But that may have changed with the advent of tools--which happened roughly when the genus Homo arose. "If you are preprocessing food with stone tools, some features may become functionally unimportant," he says.

Saturday, March 05, 2005

ジェンダーギャップを縮めることができるか

散髪にいったところあり得ない髪型にされてきたわけだが。

メモ。

http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2005/228/2?etoc

  • アカゲザルの雄と雌(特に若い個体)では空間記憶の能力に差がある。
  • が、その差は学習によって縮めることができる。

ということがわかったそうだ。この話がホットなのは、ハーバードの学長が「科学者に女が少ないのは知的能力が生まれつき違うせいやないか」といって批判されたからである(どうでもいいことだがこの話の報道の中ではじめて動くピンカーを見た)。

Friday, March 04, 2005

Kin selection

しかしBloggerは、

なぜlog in するときのremember meが全然はたらかんのだ。

Thursday, March 03, 2005

Languages and language

今日はD.LewisのLanguages and language.(一回書いたものを誤って消したのであんまりやる気なしです)。

  • Lewisはこの論文でformal semantics(Frege, Russell, Davidson, Carnapその他諸々)とGriceの見方を調停しようとする。
  • convention of truthfulness and trustとregulationやgrammerとの関係がはっきりしない。
  • そりゃtruthfulness and trustはcommunicationを成立させるには必要だろうが、それが何でconvention?
  • conventionがsoundやmarkへの意味の割り当てにかかるものなら(つまりそれに対してalternativeがあるという意味で)、それとconvention of T and Tの関係はいかに?
  • SEPのChomskyやDavidsonの批判を見た方がよいかもしれない。See  http://plato.stanford.edu/entries/idiolects/index.html

あとmidterm examが帰ってきてそれについてはI can't complainだが先日のcausationのプレゼンの評価についてはも一つ納得がいかない。

Million Dollar Baby

「ミリオンダラー・ベイビー」(imdb)がeuthanasiaについての論争を巻き起こしているそうだ。

http://www.nj.com/entertainment/ledger/index.ssf?/base/entertainment-1/1109832752311460.xml

(以下spoilerがあるので読みたくない人は読まないでください)

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批判の骨子は
  • 医師が安楽死をするかどうかの判断をできないように描いているがそれは違う。
  • 安楽死の判断ができる患者(Hilary Swank)がどういうプロセスで自らの判断に達したかを描いていない。
  • disabledをdeathより価値のないという印象を与えかねない
この映画は二週間ぐらい前に見た。そのときの感想からすると、まあたしかに専門家から見るとそういう点では気配りの行き届いた映画ではない。が、だからこそ監督は何か政治的なメッセージを映画を通して送りたかったのではない、という感じがする(政治的なメッセージがあるならもう少し気をつかうと思う)。ま、ほんとのところは英語がよくわからんかったので、DVDが出たらそれを見ようと思います。

Tuesday, March 01, 2005

なんていうんですかcausation

(題名は適当なので気にしないでください)

今日はSalmon先生のCausality; production and propagationとか。

  • Salmon先生はcounterfactualsが嫌いらしい。それとevent-relation-eventで考えるのがおかしいとか。
  • しかしinteractionがなかったらcausal processの中で因果がないってどうよ(きのうのおれは今日のおれの原因の一部じゃないのか)。
  • negative causationとかcausation by omittionとかどうするよ。おぼれた子供を見捨てるのは子供の死の原因じゃないのか。
  • processのstructureにmarkがつかないときはどうなるよ。ダイアモンドを机におとして壊れなかったときそれをどう説明するのか。
  • mark principleもうまくいかないかもしれないし。
  • あとprocessを物理現象に限定したら情報とか思想の伝播とかうまくいくのだろうか。

年をとって

いいことの一つは「難しいんだけどみんなすごいすごいといってるし何かありがたみがありそうだなあでもちょっと読んでみたらわけわからんし結局みんなえらそうにしたいだけじゃないの」(まあそこまでいかなくてもなんだか自分に関係ありそうな気がしないでもないけどむつかしくてわからないもの)について「この人生ではもうこのことはわからなくていい」というふんぎりがつくことだ。

パワーポイントで遺書

パワーポイントで遺書を書いて自殺したという人がいるらしい。

http://dain.cocolog-nifty.com/myblog/2005/02/post_6.html

英語はここ。悲惨な話なのだろうが、妙におかしい感じがするのはパワポの力だろうか。
(ただしgoogle newsで検索しても出てこないので、もしかしたら作りのかもしれない)

[追記]英語版のトップページを見ると、作りということがわかりました。(Mar. 5)

毒ガス

常石敬一さんについての批判的な記事。

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20050226

私は事柄を全く知らないので何ともいえませんが。

リリースと人為選択

釣りで大きい魚はいただいて小さい魚はリリースする、というのは一般的だが、それが生命力のない魚をartificial selectionすることになっているという話。

http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/2005/220/1?etoc

(登録が必要といわれるときはbugmenot http://www.bugmenot.com/ 経由だとうまくいくかもしれません)

シンプソンズとゲイ

シンプソンズの登場人物がゲイであることをカミングアウトして話題になっているらしい。

http://abcnews.go.com/WNT/Entertainment/story?id=513522&page=1

この回はたまたま見ていたが、結構面白かった。ゲイマリッジを認めたスプリングフィールドでマージの姉妹が女子ゴルファーと結婚するのだが、最終的にその女性ゴルファーがLPGAに出るために性を偽装していたことがわかって結婚は取りやめにというオチ。もちろんシンプソンズだからゲイマリッジを認めない保守派をからかう場面はあるのだが、このオチのところもゲイライツの皆さんの肩の入り具合(ゲイはtha way I amとかいってんのになぜあんな感じなんでしょうか)をさめた地点から見ていてよかった。それにLPGAにはいるために女装する人生というのもゲイの人生と同じくらいなかなか大変だろうからな。