Saturday, December 31, 2005

Windowsに深刻な脆弱性

ここを読むような人はもう知っているかもしれませんが。

XPなど複数のWindows OSに深刻な脆弱性、“0-day exploit”も登場
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051228-00000014-imp-sci

windowsの脆弱性なんて聞き飽きているが、
  • まだパッチがない
  • ウェブサイトを訪れただけで感染
  • firefoxでも完全ではないらしい
という点で今回はちょっと特別ではないか。

Thursday, December 22, 2005

LaPorteと哲学者のゲーム

Kripkeについてペーパーを書く途中で、Joseph LaPorteの本を読んだ(1-3章だけだが)。読んでいて気付いたのは、この人は哲学者のときどきやる推論ゲーム(aka「なにがでるかな」ゲーム)をやっているなということだった。「何がでるかな」ゲームというのは、適当に前提をおいて、何が結論として出てくるかを推論するというゲームだ。つまりP1, P2,...Pnという前提からC1,C2,...,Cnを推論するゲーム。LaPorteの場合だと、Kripkeの本質主義+de Queirozのクレードの定義+分岐学が前提で、結論は諸々の本質や様相に関する言明(1-3章の範囲では)。

しかしそれはどの学問でも同じではないか? ところがこのゲームをやる場合、推論する人はPにもCにもコミットしない(というと大げさだが、Pが正しいかどうかに余り関心を示さない)。つまり、「Pならば C」にはコミットするが、Pには大げさにいうとコミットしない、従ってCにもコミットしないわけだ。そこで哲学者のやることは、これだけの前提から、どう いうことが推論されるかをしめすこと(なにがでるかな?をみること)。

LaPorteが自分の前提の正しさを示すことにそれほど関心を持っていなさそうなことは、いくつかの点からうかがえる。たとえばLaPorteはde Queirozの定義(というか、クレードが定義できるかどうか)が正しいかどうかに余り関心を示さず、素直に受け入れているし、リドリーの「分岐=種の絶滅」というかなりcontroversialなテーゼをほとんど天下り的に「分岐学者がこういっているから」といわんばかりに採用している(だいたいすべての分岐学者がこれを受け入れているとも思えない)。また種の個 物説とkind説に対立に至ってはきわめてartificialな方法で切り抜けている。したがってLaPorteは前提を一つ一つ論証していくことでは なく、この前提から何がでてくるかということを力説したいのではないか。

もうひとつのポイントはLaPorteは自説の正しさを argueするにあたって、IBE(最善の説明への推論)をつかっていないような感じであること。これはKripkeとはだいぶ違う。Kripkeは proper namesについては自分の説明の方が(descriptivistより)よい説明だと主張しているし、natural kindsについてもたぶんそうだろう(compared to the new phil of science)。しかしLaPorteは推論の正しさは主張するが、我々のbiological taxaに対するideaをよりよく説明するのだ、という感じではない。

だから分岐学者がこれを読むと自分が命をかけて主張したいことがぬるい議論であまされているのをみて「ちょっとJoseph、放課後体育館の裏へ来い」的な気分になるのもわからなくもない(またLaPorteはnatural kindの定義などかなりcontroversialなことをいって、予想される反論に応えないという結構萎えることもやっているし)。ただ自戒を込めていうと、哲学者は時々自分が遊びたいだけのために人の畑をつかうことがあるので、他分野の人は結構注意が必要だと思う。

Monday, December 19, 2005

数独に続く逆輸入はこれだ

みなさんこんにちは。ぼくはきょうもペーパー書きでひいひいいっています。ところで「ぶっかけ」というのが英語になっているのを知っていましたか。ぼくは知らなかった。

http://en.wikipedia.org/wiki/Bukkake

Friday, December 09, 2005

踊る大捜査線

きょう言語哲学専攻の友だちに、教授がいっていた**というクリプキの議論が"Naming and Necessity"の中にみつかんないんだけど、ときいたら、「クリプキでは大事なことは全部注で議論されているのよ」といわれた。「議論は本文で起こってるんじゃない! 注で起こっているんだ! 可能世界へのアクセスを封鎖せよ!」みたいな感じか。

Sunday, December 04, 2005

タイガージェットシン

テレビでタイガージェットシンのドキュメンタリーをやっていたので見る。
私は全く知らなかったが、タイガーは実はインドからカナダに移民しており(インドからのカナダ移民 はとても多い)、そこで結婚してすぐに奥さんを残して日本にやってきたのだそうだ。離ればなれの生活はつらかったがシンは日本で稼いだ金をせっせとカナダ に送金 し、奥さんはそれをうまく運用していまでは大富豪。シンももともとは猪木のヒールとして登場したが、次第にファンの人気をえて、60歳になるいまも元気 いっぱいにサーベルを振り回している。子供はシンのビデオを見て感動したが、シン自身はもう孫には自分のビデオを見せたくないそう。「仲間のレスラーもだいぶ死んじゃったから俺もがんばらないとね」と語るシンにはまだ引退は早すぎるようです。それでは次のお便り、滋賀県の石川恒雄さんから。題は「俳句の楽しみ」。ってなんだかよくわからないが、しみじみする番組だった。

あと、シンの仲間の外人レス ラーはみんなシンにあこがれていたということで、たぶん彼らが日本に来る前からシンを知っていたということになるから、プロレスは早くから国際化が進んでいたと いうことか。

ミツバチはヒトの顔を見分けられる

ミツバチはヒトの顔を見分けられる(ヒトの0.1%のニューロンしかないのに)。

Bees Recognize Human Faces -- Unger 2005 (1202): 2 -- ScienceNOW
http://sciencenow.sciencemag.org/cgi/content/full/
2005/1202/2?etoc

Friday, December 02, 2005

ぬるぬるさん

よく哲学とか科学の世界では「と」の人がいるものだが、しかしこの世界にはそれと似た、しかし別の生き物が生息しているのではないかと思われるのである。それを某サイトから借りてぬるぬるしたもの(あるいはぬるぬるさん)と名付ける。果たしてその特徴とは...

-読むことより、考えたり議論したり文章を書いたりすることが好き。
-文章は難解(この間みた某ブログでは全エントリでなにをいいたいのかわからなかった。ある意味すごい才能だと思う)。
-文章に、セルフつっこみ、セルフボケ、(^^;)、(笑)、が多い(自己満足)。
-概念整理が苦手。
-比喩を持ち出す(ただしその比喩と自分の議論の関連をつけない)。
-説明を求められたときにうまく明快に自分の議論を説明できない。たんに論点を理解していないというより、説明する意志があるのか疑われる場合もある。
-Aということを議論しているときに、関連していなくもないBという論点をすぐに持ち出す。従って議論が拡散しやすい。
-instructionとかadministrativeな文章を無視する。

(以下は非専門家のぬるぬるさんのみに当てはまる)
-よめといわれた参考文献を読まない。
-半可通。専門家でも余り知らないような文献を読んでいるが、基本的なところを理解していない。

(べつにぬるぬるしたもの=「と」というわけではない。「と」でない本職の科学者・哲学者にもこういう人はいる。またこれは誰かに向けて「おいおまえ早くこれを直せ」という意味で書いているわけではない。だいたい私がぬるぬるさんである可能性も否定できないのである...)