Wednesday, March 15, 2006

反省会

某論文を書いたので、反省会をする。

-なんというか、方向性が中途半端。ハンフリーズを批判したいのか、自分の方向を出したいのか、はっきりしろと。
-同じことだが、批判ばかりせず新しいものを出せ。
-学生のタームペーパー気分がのこりすぎ。結論で、大きい枠組みにハンフリーズを位置づけたいのはわかるが、結局のところハンフリーズはだめだということ以上のことをいっているのか。
-ハンフリーズの議論の分析はほんとうに正しいのか。
-ハンフリーズの部分はただ彼の主張を記述しただけで、議論(argument)を再構成したのではないのではないか。
-資料を読んでなさ過ぎ。特に因果はいまめちゃめちゃホットで、文字通り山ほど論文があるのだから、それをもっと読まないと。
-それからいまの時点で因果について新しいことをいうなら、structural equation approach(PearlでもGlymourでも可)を論じないと意味ない。

Monday, March 13, 2006

食虫植物のヴァーチャル博物館

Sunday, March 12, 2006

生物学の哲学シンポ

生物地理学会のシンポジウム。

生物学哲学からみた生物の進化と系統

http://cse.niaes.affrc.go.jp/minaka/files/BiogSymp06.html

おお、知りあいがいぱーい。

Saturday, March 11, 2006

Truthinessと局地的バカ

こちらのメディアで流行っている言葉(buzzword)のひとつに'truthiness'というのがある。これはアメリカのコメディアンStephen Colbertが再定義して流行らした言葉で、「(証拠がなくても)真実(truth)に見える・真実であってほしいと願わせる性質」を表す。たとえばブッシュ政権の人々はイラクにWMDがあるという事実(fact)に基づいて行動したのではなく、あってほしい・あるはずだというtruthinessにもとづいて戦争を始めたわけである。そして興味深いのは、人間はtruthinessがあることがらになると(ほかのことでは賢くても)極端にバカになることがあるということである。

こっちの文脈でいうと、これはたとえば神の問題。まあこっちの人の多くは神を信じているわけである。それで私がTAをしている哲学入門の授業で神の存在証明についてエッセイの課題を出すと、何とかして神の存在を証明しようとする。ここでおもしろいのは、既存の神の存在証明を批判するときは学生は結構鋭い批判を繰り出してくるのに、存在証明を擁護する段になるといきなり単純な循環論法に落ち込んだり、なにをいいたいのか訳のわからない文を書いてきて、これはほとんど「局地的バカ」といえるのではないかというほど一気にレベルが落ちる。

別の例だとやっぱり「送金メール」で、あんな簡単な罠に引っかかってしまうというのは「自民党は不正をした」という主張のtruthinessのなせるわざではないかと。

そしてこういうtruthinessが跋扈する分野は「正義」に関わる分野が多いのでややこしくなる。こちらだと中絶・ゲイの問題だし、日本だとなんといっても前の戦争のもろもろ。そしてtruthinessはその人の主張の中身を問わないので、これこれの立場を取ったからといってtruthinessから逃れられるというわけではない。したがって自分のtruthinessがどこに現れるかを心にとめておくのは、肝心なところであほな主張をしないためにとても重要だろう(→自戒)。