Sunday, August 28, 2005

反進化論と民主主義

遅ればせながら『生物学史研究』74号の反進化論特集を読んだ。特におもしかったのはアメリカの反進化論の背景に民主主義+地方分権的傾向があるという指 摘が各所でなされていたこと。たとえば宗教についてもたんにプロテスタントやファンダメンタリズムというだけでなく、アメリカの「会衆派的」傾向(ローマ 法王のような最高権威者ではなく、ローカルなレベルの指導者によって物事が決められていく)が背景としてあるという(p.69)。

また現 地の学区教育委員会が公立校のほとんどの事柄(カリキュラム含む)をきめることや公平さや個人主義を尊重する価値観、「すべての人が自分の意見を述べるに 値する」という価値観(これは向こうにいるとつとに感じることだ)が、極端な創造論者が教育に影響力をあたえることを許している(p.70)。

もうひとつ面白いのは、反進化論を進化論の側から論破するのが皆が考えているほど容易ではないということだ。たとえば松永俊男氏はこう述べる。
「知的デザイン論」に対しては自然選択説を擁護するよりも、「自然選択説の否定」と「進化の事実の否定」とは同じではないと指摘する方が有効なのではないだろうか。 (p.91)。
しかしこれは逆に言えば「知的デザイン説」に対して自然選択説を擁護するのはそれほど簡単ではないということである。もちろんこれは創造論者側の弁論術(詭 弁術?)のうまさ、一般の聴衆を相手がである(生物学の講義を聴きに来たわけではない)ということもあるだろうが、いわゆる新科学哲学の描く科学像を思い 起こさせるものがある(だからといってその証拠になるというわけではないが)。

なお、細かいことだが、特集中に頻出する「末日生徒」というのはこれでいいのだろうか。辞書には末日聖徒(last (or latter) -day saint=モルモン教のこと)となっていたが。

Thursday, August 11, 2005

きょうの単語

覚醒剤=crystal meth

いや、なんか時々マリファナの話になったときに「日本ではマリファナって流行ってるの?」ときかれて「覚醒剤の方が多い」といいたいのにうまく応えられなかったから。

Tuesday, August 09, 2005

正義感= sense of justice?

最近日本語の「正義感」の英訳はなにかということを考えている。辞書を見ると(たとえば英辞郎)を見ると'sense of justice'となっているが、これは違うと思う。というのはたぶんsense of justiceというのは正しい道徳的判断を下す能力である(ネイティブの友人に一応確認した)が、日本語の「正義感」は、道徳的判断が持つmotivational powerに関わっているから。

たとえばsense of humourというのは、(たとえば)面白いジョークと面白くないジョークを見分ける能力であって、「ジョークをいおう」という動機付けの力には関係ない。それと同じようにsense of justiceというのは、(たとえば)複雑な状況や問題について(stem cell researchとか)正しい判断を下す能力である。senseで辞書を引くと以下のような意味があがっていてそれがこの手の"sense of ..."にあてはまるだろう。

An intuitive or acquired perception or ability to estimate: a sense of diplomatic timing.

Dictionary.com
http://dictionary.reference.com/search?q=sense+

これに対して「正義感の強い人」というのは、信号無視を許せない人だったり万引きを注意したりする人で、自分の道徳判断が行動に結びつきやすい人である。「正義感のない人」は何が正義かわからない人ではなくて、痴漢を見て見ぬふりをする人のように、何が正しいかわかっていてもそれを行動に移せない人である。

正義を尊ぶ感情。不正なことを見て義憤を感じる気持ち。
「―が強い」

大辞林 国語辞典 - infoseek マルチ辞書
http://jiten.www.infoseek.co.jp/Kokugo?pg=result_k.html&col=KO&sm=1&qt
=%C0%B5%B5%C1%B4%B6&svp=SEEK&svx=100600

とここまでいいのだけれど、では「正義感」の訳語は?となるとよくわからない。feeling of justice? conscience? なんとなく後者が近いような気がするが、そうすると「良心」との違いはなんだろう。

(付記)このエントリを書いたあとに「誤った正義感」という言い方があるのを思い出した。たとえばJRの脱線事故のとき「人が死んでんねんで」といった新聞記者は「誤った正義感」に基づいているような気がするが、彼の何が誤っているのだろうか? 何らかの道徳的判断だろうかそれともそれに動機づけられた行為(あるいは動機づけられ方だろうか)。

(付記2:Aug 28)「間違った正義感」の話だが、仮の説明を思いついた。誤った正義感から行為した人とは、道徳判断(ともしかしたら何らかの欲求)から行為するが、その行為が道徳的に見て誤っている人である。

たとえば、福知山線の事故の新聞記者は、「JRが悪い」という判断自体は誤っていないが、それに動機付けられた行為(「人が死んでんねんで」と叫んだり「社長呼んで」と要求すること。あるいはそうしたことが許されるとする道徳判断)が道徳的に見て適切でないので、彼の行為は誤った正義感から生じたといえる。

しかしこの解釈だと誤っているのはもともとの道徳判断から生じた二次的な行為や道徳判断なのに、なぜ正義感が「間違っている」とされるのだろうか。そのへんはよくわからない。

Saturday, August 06, 2005

まあよかったね、デイヴィッド!!

図書館で借りたDavid Buller: Adapting Mindsを見ていたら謝辞にこういう記述があった。
When working on my dissertation, I remember expressing concern to Arthur [Fine, his dissertation advisor] that I wasn't really doing philosophy in my dissertation. He responded with his usual warm-hearted laugh and the gentle comment, "Don't worry about that." Well, Arthur, as you'll see here, I've certainly stopped worrying about that! (p.ix)

博士論文 に取り組んでいるとき、アドバイザーのアーサー・ファインに、自分が博士論文でやっていることはほんとうは哲学じゃないんじゃないかってという心配を打ち 明けたときのことをおぼえている。彼はいつもの暖かい笑いと「そこは心配しなくていいよ」というやさしいコメントで応えてくれた。それで、アーサー、わか ると思うけど、ぼくは確かにそれについては心配しなくなったよ!(p.ix)
まあよかったね、デイヴィッド!! といってあげたいが、それはともかくこの〈自分のやっていることがいわゆる「哲学」に当てはま るかどうかということに悩まない〉というのはこちらの生物学の哲学者に見られる一つの傾向ではある。

Thursday, August 04, 2005

Cogprints

認知に関する学際的な論文アルヒーフ(心理学、神経科学、言語学、哲学、生物学等)。

Cogprints
http://cogprints.org/

科学哲学のPhilSci Archiveに対応するものだろう。