Saturday, March 11, 2006

Truthinessと局地的バカ

こちらのメディアで流行っている言葉(buzzword)のひとつに'truthiness'というのがある。これはアメリカのコメディアンStephen Colbertが再定義して流行らした言葉で、「(証拠がなくても)真実(truth)に見える・真実であってほしいと願わせる性質」を表す。たとえばブッシュ政権の人々はイラクにWMDがあるという事実(fact)に基づいて行動したのではなく、あってほしい・あるはずだというtruthinessにもとづいて戦争を始めたわけである。そして興味深いのは、人間はtruthinessがあることがらになると(ほかのことでは賢くても)極端にバカになることがあるということである。

こっちの文脈でいうと、これはたとえば神の問題。まあこっちの人の多くは神を信じているわけである。それで私がTAをしている哲学入門の授業で神の存在証明についてエッセイの課題を出すと、何とかして神の存在を証明しようとする。ここでおもしろいのは、既存の神の存在証明を批判するときは学生は結構鋭い批判を繰り出してくるのに、存在証明を擁護する段になるといきなり単純な循環論法に落ち込んだり、なにをいいたいのか訳のわからない文を書いてきて、これはほとんど「局地的バカ」といえるのではないかというほど一気にレベルが落ちる。

別の例だとやっぱり「送金メール」で、あんな簡単な罠に引っかかってしまうというのは「自民党は不正をした」という主張のtruthinessのなせるわざではないかと。

そしてこういうtruthinessが跋扈する分野は「正義」に関わる分野が多いのでややこしくなる。こちらだと中絶・ゲイの問題だし、日本だとなんといっても前の戦争のもろもろ。そしてtruthinessはその人の主張の中身を問わないので、これこれの立場を取ったからといってtruthinessから逃れられるというわけではない。したがって自分のtruthinessがどこに現れるかを心にとめておくのは、肝心なところであほな主張をしないためにとても重要だろう(→自戒)。

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