種の実在論はどういう主張か
さいきんは種の実在論について考えることが多いが、これがむつかしい。だいたい種の実在論の主張をはっきりさせることもなかなか難しい。たとえば、いわゆる「種の実在論」は、「種が実在する」とだけ主張しているのではない。たとえば以下のような議論を考えてみる(以下自分用に書いたメモを引用します。コメントは日本語でかまいません)。
(P1) All sets are real (sets exist).
(P2) Species taxa are sets.
(C) Therefore, species are real.
This argument is valid. Let us assume all premises are true. But this argument may not be what biologists who support for species realists want. If this argument is sound, then many things other than individual organisms and species, because (P2) make every set real. Among them, for example, is a set
A lesson from this: species realism is not the same as the claim that species exist.
(P1) All sets are real (sets exist).
(P2) Species taxa are sets.
(C) Therefore, species are real.
This argument is valid. Let us assume all premises are true. But this argument may not be what biologists who support for species realists want. If this argument is sound, then many things other than individual organisms and species, because (P2) make every set real. Among them, for example, is a set
{George W. Bush, e, Mona Lisa}.No biologist would think this set exists in the same sense as Homo sapiens does. If this argument is sound, then species are real. But it does not fit the interests of biologists.
A lesson from this: species realism is not the same as the claim that species exist.
7 Comments:
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こんばんは。
これからはコメントを
書き込みたいと思いますが、
これ、読めますか?
>anonymousさん 読めますよ。
p1 がすでにあやしい気がしますが、p2 は外延公理がとっても都合わるいことになるので偽とせざるを得ないでしょう。絶滅種についてはp2は真としてよいかもしれませんが。
anonymousさんのおっしゃるように、たしかに上のArgumentには怪しいところがあるのですが、エントリで言いたかったことはもし上のArgumentが正しくても、それはおそらく生物学者が種の実在論で求めているものとは違うのではないか、ということでした。
はい、主たる論点が「生物学者が種の実在論で求めているものとは違うだろう」にあることは理解しています。その上で、生物学者が種の実在論について何か意味のあることを考えているというのは、そもそも成り立っていない前提を立ててしまう事に端的に示される様な、言葉についての誤解に基づいた何かについての想像なのであって、種の実在論はどういう主張か、という問いの立て方にそもそも問題があるのではないかと思いました。Interetsts of biologists というのがとても乱暴な括りに思えたというべきかもしれません。
(なんというか19世紀に日本とブラジルのあいだで文通をしているような間の空き方ですが)
>生物学者が種の実在論について何か意味のあることを考えているというのは、そもそも成り立っていない前提を立ててしまう事に端的に示される様な、言葉についての誤解に基づいた何かについての想像なのであって、種の実在論はどういう主張か、という問いの立て方にそもそも問題があるのではないか
生物学者が種の実在論について考えているときにやっていることがことばについての誤解に基づいている、というのはそうかもしれません。ただ「種の実在論がどういう主張か」ということで言おうとしていたことは、生物学者が「種が実在する」と主張するときにどういうことをやっている/やろうとしている/やっていると思っているのかを明らかにしたいということですので、彼らのやっていることがことばについての誤解に基づいているという可能性を排除しているわけではなりません。
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